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糸田ともよ歌集『水の列車』より 〈飛雨〉ほか2009/07/10

仮面の色 雨に滴るまま覗くねむりぐすりを捨てたみずうみ


風景とともに剥がれて飛ぶ車窓 天に吸われる花びらのごと


気づかれずに追いたい薄暮 迷い出る蝶の背(そびら)に一条の飛雨


前(さき)の世に逸(はぐ)れた女と手をつなぎ夕日を運ぶ蟻を見ていた

                                    (飛 雨)



揺りかえす酔夢の奥より溢れくる心音みだらにほぐれる葡萄


仮面爛(ただ)れ日盛り孤りふつふつと網膜に沸く幸福の灰汁(あく)


岐路うるむ灯下に佇み聴いていた胸の漂砂に混じる硝子を


立棺のエレベーターに眼を閉じて花茎をのぼる雨水(うすい)のこころ

                                    (水の褥)



言葉だけ先に起きだし私を裏切っていく 空いっぱい冬の蝶


無限の枝の夢幻の縺(もつ)れ混沌と不眠の底に軋む暗い巣


受話器の声しばし途切れて 雪の音 あるいは翼を片づける音

                                    (暗い巣)



ベッドから垂らす手首は水の輪に吸われ硝子の魚群あつまる


階段のひとつ断崖 踏み外し縋(すが)れば神のネクタイは瀧(たき)


海のようにシーツをめくるとあるのです 羽化したばかりのやわらかい
不在

                              (やわらかい不在)



ふあん 黙りこむふかみどりの淵へ雪のからだで降りていくこと


深すぎる眠りあやぶみ夢の森へ灯を提げてくる魚の父母(ちちはは)


死の夢へ傾(かし)ぐからだをたてなおす尾ひれの波にゆられる夕ぐれ


薄氷の翅(はね)雪崩れ咲く万華鏡 死して豊かに笑むものの天

                                    (冬の鏡)



雪解けの水の列車に乗り水のマフラーほどく初めのカーブ


冬の果て 陽(ひ)と氷(ひ)の細粒浴びながら言葉こごらすやまいの
ふかみ


制服の魚群のかたえを狂い咲く花のあわいを水の列車は

                                     (歳 月)



思想犯夢に匿い素足にて敷居を踏めば冬と目覚める


果てしない吹雪の声域かけめぐる偽笑、憂悶、幻想烽火


ぬくもりは哀しき祭り地吹雪の白馬撃たれて舞い狂う嶺


双手さしのべ雪の骸(むくろ)に濡れながら情はやさしく唾棄されながら

                                   (幻想烽火)



死者と逢う睡りの浅瀬に詩語ひとつ奪い合うごと月明を汲む


夜道きしきし足下で雪きしみ振り仰げば満天の銃口


傷口の鮮(あら)たなるうち誘う神、脅す神来る義肢をかついで


凪ぐ耳を貫き何処へ届こうと、風、一途な橋のように急き

                                     (寒 風)



もうじゅうの双眼点(とも)る闇の夜の施錠の響きに翻える耳


暴言の卵を根絶してしまうやわらかい右手やわらかい左手


護られてまもれてぬいて老いゆくも草食獣の過敏な目覚め


囚われるための逃走いくたびも 天地を転じ乱れ舞う雪

                                 (氷雪動物園)



雪の夜はちいさな棺の蓋が開きオルゴール鳴る 人はかたわれ


かたわれの割れくち知るとき哀しみは一斉に起(た)つ水の伏兵


天涯へ陽炎の書架ゆれのぼる 傷つく間もなく亡(ほろ)びしものに


星河なす毀れし竜頭(りゅうず)すくうとき時間(とき)の渡船と傾くこころ

                                   (水の伏兵)









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