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この町 * しずおか連詩の会2018/10/28


静岡に来てから、「しずおか連詩の会」というのがあるのを知りました。
三島市出身の詩人、大岡信を中心に始まり、今年で19回目の開催とのこと。
今年は浜松での開催でしたので行ってみました。





5人の詩人(今回は小説家、音楽家の方も参加)が浜松の風土・特色を意識しつつ短い詩をつないでいくのですが、音楽もまじえたみなさんの朗読、そしてそれぞれの詩の解説が意外性にみちて面白かったです。




夫の知り合いの新聞社の方が、散会後に詩人の文月悠光さんに会わせてくださり、お話ができたことも嬉しかったです。
文月さんは10代から第一線で活躍されている現代詩人で、同郷であることから共通の知り合いは多かったのですが、お会いするのは初めてでした。私にとっては記念すべき日。

「子らが 子らが」の巻39編めの文月さんの詩のことば、「詩と人はこんなにも含み合う。/先駆けて未来を記す装置であれ。」は、とりわけ印象的でした。

そして最後にカニエ・ナハさんが朗読された40編めの詩

このまちはひとつの楽器 曲線を歩けばぼくら 音符になって
モンパルナスのキキになって ピアノはかえでの木々になって
おりおりは おりかさなって うたは岸壁 つぎのうた 待つ (ナハ)

カニエさんは浜松駅前のロータリーの曲線に心をとめ、浜松が楽器の街であり、曲線の「曲」が楽曲の「曲」でもあることとからめて、この詩を書かれたとのこと。

浜松は駅前のみならず、とにかく道がくねくねと曲がっていて、方向音痴の私には街全体が迷路。高低差も激しいので、上下にも波うつ曲線の地形を難儀に感じてしまう日々でした。
けれど、カニエさんのこの詩を読んで(聴いて)、私の(浜松への)思いは一変しました。

まち全体が楽器で私は音符。音楽として歩いている(走っている、休んでいる、ふたたび歩き、うつろっていく)のだと思うとなんて楽しいのでしょう。



ほんらい私は曲線というものが大好きなのでした。




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