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CD『地下書店』のこと(2)2010/04/30



『現代詩手帖』 2010年 5月号


歌(たんか)と唄(ソング)のコラボレート

  及川恒平CD『地下書店』       田中 綾



 旅先の書店。ありふれた一風景のようなそこが、豊穣な邂逅の場となることがある。たとえば、一冊の歌集がミュージシャンと出逢い、新たに息づいていく、など。
 ミュージシャンの名は、及川恒平。60年代終わりに別役実の芝居で歌いはじめ、70年頃、小室等、四角佳子らの「六文銭」に参加。上条恒彦と六文銭による「出発(たびだち)の歌」の作詞なども手がけた。解散後はソロシンガーとして活躍し、近年は、小室、四角に、こむろゆいを加えた「六文銭’09」でライブツアーを展開、ソロでも全国を巡っている。
 そんな及川恒平が、高校時代を過ごした北海道で、ライブの合間にふと書店に立ち寄った。詩歌の棚で指ふれたのは、札幌在住の糸田ともよの第一歌集『水の列車』(洋々社、2002年)だった。
  欄干も水の列車となり走るどこを切っても
  血を噴く詩のごと         糸田ともよ
  手錠から魚のように手が抜けてまた夢に入
  る出生からの
 「欄干」「手錠」あるいは「橋脚」「階段」など、硬直し固定したものを、水流に乗せて異世界へはこび去る想像力。流動性に富みつつ、たしかな芯のある歌世界が、この時〈唄(ソング〉と邂逅したようだ。
 二人による歌(たんか)と唄(ソング)のコラボレートは、2005年頃から試みられ、今年三月末、CDアルバム『地下書店』(及川オフィス)として結実した。詩は糸田ともよ。曲と歌唱は及川恒平である。
 収録15曲のうち6曲は、『水の列車』の短歌を及川が詞に再構成したものだ。本歌は次のような作品。
  階段を数えてのぼる癖 死後も 黄昏いろの
  地下書店から
  抱きあえぬ魚の姿でめぐりあう驟雨の拍手に
  拉ぐ水駅
 どこか失意がある。〈ことば〉以前の未生の詩人のたましいが、〈ことば〉を知ってしまった失意。その痛みが、包帯をまとい、漂っている。これらの歌世界は、及川によって次のような詞に生まれ変わった。 
  たそがれの地下書店に 一通のメールが届く/たぶんもう
  行かないという 夢のつづき短いことば(中略)
  抱きあえぬ魚の姿で 巡りあい逸れるまで/祝福の雨の
  拍手に 悪気もなく耳をふさいだ
 「メール」など汎用性の高い語を加え、聴き手に届きやすい距離感が設定されている。その微調整が、糸田短歌にある失意や不在感に、具体的な像を与えたようにも感じる。
 CD後半、糸田短歌「冬の鏡」九首を、及川が朗読している。
  ふあん 黙りこむふかみどりの淵へ雪のからだで
  降りていくこと
  幾重にも包帯巻いて眠れ木木 月きみどりに粉砕し
  降る
  鉄格子鉄扉の隙間にきらきらと曙光のような魚鱗(う
  ろこ)の手紙
 「ふ」の摩擦音、「き」「て」等の破裂音の重なりや交錯が、ことばの意味性を増幅させる。わずか二分弱の朗読だが、内部の水をたたえて迫る肉声の浸透力には、うち震えるものがある。くり返し聴き入りたいCDだ。