文学館から文学館へ ― 2024/04/22
日曜日、中島公園に桜をみに行きましたが
まだ3分咲きくらいで
寒かったので
道立文学館に入ってみました。
「虚子・年尾と北海道」という特別展をやっていました。
親子で歌人、親子で俳人、あるいは三代で、
みたいな例は多いけれど、私の親族には
(親も息子も、おそらくご先祖も)
詩歌に関心のある人が私以外誰ひとりおらず、
このような展示をみるにつけても
信じがたいような、羨ましいような、
複雑な気持ちになります。
以前すぐ近所に住んでいたのに、
行ったことのなかった渡辺淳一文学館にも寄ってみました。
渡辺淳一さんは札幌南高等学校の出身で、
私の父が数学教師として同校に勤務していたころに在学していました。
(父と渡辺淳一さんの年齢差は6歳)
当時の教職員の集合写真(左右は切れています)。
父は赤い矢印。
学生さんと、修学旅行先で。
南校は今は私服登校ですが、当時は制服があったのですね。
父は渡辺淳一さんや、後に渡辺さんの小説『阿寒に果つ』のヒロインとなった加清純子さんを直接教えたことはなかったとのことですが、
加清さんは校内でも目立つ存在だったそうで、
よく憶えていると言っていました。
そういえば一昨年?加清純子さんの絵画が複数展示された特別展も
文学館に見に行きました。
渡辺淳一文学館1階の喫茶コーナー。
2階の展示を見ながら思い出したのは
渡辺淳一さんはかつて私の叔父と同じ札幌医科大学に勤務していて
叔父と同じ、白石区の医大アパートにお住まいだったこと。
しかも渡辺さんのお宅は叔父叔母一家の居室の真下で、
叔父宅を訪ねるときは、「渡辺」と書かれた表札を目印に
棟内の階段をのぼっていきました。団地は棟数も多く、
同じドアが並んでいて迷いやすいので、その目印にしていた
(アパートには不似合いな?)立派な表札を今でも妙に
鮮明におぼえています。
私は小学生のころです。
渡辺淳一さんが医大を去る少し前のことですね。
叔父は眼科医でしたが、渡辺淳一さんと親しかったようです。
叔父の娘(私の従妹)は、「渡辺淳一の小説が自宅にたくさんあって、
小学生のころから読破していた」と言っていましたが。
大丈夫なのでしょうか。
私自身は、渡辺さんの小説はあまり読んだことはないのですが
文学館(という場)を訪れると、あれこれ思い出したり、想像したり、
なにより旺盛な創作意欲に触れることは楽しいです。
文学者の血筋をどこにも辿れない私ですが
(「あなたは突然変異の子。宇宙から来たの?」と
よく両親に言われていました)
ひとりひっそりほそぼぞと
この世の片隅で
詩のようなもの
書き続けようと思います。